生活費(15万/月)を稼ぐことができず、失敗するまでのデイトレ日記です。
貯金が底をつき、2007年5月から生活費を出金するようになり、多少心構えは変わった
かと言えばそんなことはなかった。取引での荒っぽさは相変わらずかそれ以上で、1日で
10万取ったりするのはザラで、負ける時は20~30万くらい負けることも多くなった。

今と比べてボラが大きかった頃とは言え、その頃はやり方もかなりリスキーだった。
どうして200万くらいの資金でこれほど収支が大きく振れたかというと、それは持ち越しを
頻繁に行っていたからだ。

デイトレで買ったが見込みが外れて含み損になってしまい、切るのをためらってのものも
あれば、連日大きく売られた銘柄の乖離率から「もうそろそろ反発するだろう」と思って、
意図的に1~2泊する覚悟で仕込んだ銘柄もあった。ほぼ毎日何かしら持っていたといって
いいと思う。

どちらもナンピン前提でのやり方であったから、翌日上がればいいが、下がったとき悲惨な
ことになった。特にスイングで仕込んだ方はやっかいだった。始めから持越す覚悟であったし、
下手に自信があると、下がっても下がっても「もうそろそろ戻すだろう、きっとあと少しだけ」と、
意固地に食い下がってしまう傾向があった。

損切りした後でその後上がってしまうと悔しかったのだ。投げたら投げたで持っていない
不安があった。そこで、投げる覚悟を決めても、ある程度てんまつを見るというか、下がり
きった所まで確認して少し戻した所で売っていた。だけどそこはすでに買値よりだいぶ下で、
利確できる所まで上がらないことは私でも分った。それで結局大損することが多かった。
自分の誤りを認められないが故に招いた損失だった。

今となっては恥ずかしい限りだが、当時私はデイトレに「必勝法」があるものと思い込んで
いた。今だったら「バカだなあ、そんなのあるわけないじゃん」と当時の自分にきつくダメ出し
できそうなものだが、その時は誰もそんなこと言ってくれる人もおらず、視野も狭かったので、
ただ黙々とありもしない「必勝法」を求めていたような気がする。

さっき言った大きく下げた銘柄の乖離率もその一つであるような気がして、一時期それに
固執していた。確かに乖離率もスイングの逆張りの着眼点として悪くはないと思う。
現にある一定以上の率を超えてくれば、多くの確率でそのあと反発することが多いだろう。
デイトレだって大きく落ちた銘柄に対して反発力が強くなるのは同様だ。これは逆張りの
基本的考えとも言える。

だけど、「ここら辺で戻すだろう」というのはあくまで確率なのだ。株の値動きは理論じゃ
ないし、100%はない。「こうしたら必ずこうなる」なんて言えないのだ。例えば、「乖離率が
30%を超えたら、1週間以内に絶対に反発する」なんて言えない。もしかしたら、「80%の
確率で反発する」くらいは言えるかもしれないが、少なくとも絶対じゃない。外れることも
結構多いし、「反発する」にしても、いつ、どの程度までを指すのかは微妙だ。話が脱線
するのでこれ以上は触れない。

大事なのは株取引に「絶対」という言葉ないということだ。当たり前すぎる言葉だが、まだ
2年目の私には分らなかった。「絶対」勝てる「必勝法」があると思って追い求めていた。
1年目(2006年)に一時半分まで資金を減らしたが、終わって見れば少しプラ転し、翌年も
僅か2ヵ月で100万近くも勝って浮かれてしまった。自分のやり方は正しい、と思い込んで
しまった。

この考えは場中のデイトレも同じで、「ここで買えば絶対反発する」なんて息巻いて買って
いるものだから、その後目論見が外れて含み損になってしまっても、「危ない、切ろう」より
「これはチャンス、もっと買っておこう」が先だって損切りするという発想がすぐに出てこない。
おこがましいことに自分ではなく、相場が間違っていると思っていた。それで持ち越しを
しょっちゅうしていた。翌日GUを期待してのことだが、すでに地合いはだいぶ軟弱になって
いた。

例えばこんなことがあった。3月に2377  サイバーファームをS安付近で買ったはいいが、
その後3日連続S安の刑を受け、たった2枚だけども30万で買って16万で売る羽目に
なったことがあった。30万近くもの損失になったダメな例だが、その後も懲りずに似た
ようなことをしょっちゅうしていた。それでまだ200万ちょっとくらいの資金だったのに毎日
10万くらい勝つ日もあれば、20~30万くらい負けたりもしたのだ。

ただそれでも運が良かっのか、あるいは毎月生活費を引くことによって多少気持ちも引き
締まったのか、5~8月は生活費を引いても横ばいで、9月から再び資金が増え始めた。
3月以降ずっと200万台だったのに、9月末には300万を超え、10月には最高で一時400万
近くにまで増えたと思う。これで天狗になった。

~続く~

(それから/爆風スランプ)

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今日から2007年に入る。前年(2006年)は毎日ボロ負けしていた中で、逆張りという
武器を手にいれ、年末になって収支を少しのプラ転までもってゆくことができた。そんな
こともあって「今年(2007年)はもっと大儲けしよう」と鼻息荒くして臨んだ年と言っていいと
思う。一言で言えば、「調子に乗った年」ということだ。この年は資金が大きく上下した。

デイトレメモをみると年初日1月4日から、すでに目標として「株で生活する」と掲げ、「毎月
20万を稼きたい」なんて大層なことも書いてあった。この時からすでに株で生活しようと
意識し始めていたということだ。年初の資金が160万であり、これくらいで月20万を稼ぐ
のは難しいけれども、当時ならできない額ではなかった。高い目的意識を持つこと自体は
別に悪くなかったと思う。

取引はと言うと、昨年後半からの勢いそのままにこの年序盤もかなり好調だった。1月には
200万を突破し、2月には250万まで到達した。目標とした月20万を上回るペースだ。結果
だけ見れば申し分ないかもしれない。

だけど、ここで調子に乗ってしまったのが自分らしいところ。ここで一旦ピークを迎える。
「このままいったら複利も利くし、すぐに400万とか、500万とかにもいくんじゃないのか」
なんて皮算用するようになったら、途端に3月・4月と勝てなくなってしまったのだ。前年の
後半から月間では負けなしだったのに3月から大きく減らすこともなかったが資金が横ばい
になった。これはかなりショックだったが、大儲けしようと前のめりになり、取引が荒っぽい
ものになっていたのは確かだと思う。

1月は1日あたり平均5万前後、時には10万ほど取れた日もあったが、一方でこれまでの
最高額となる1日で20万も負けてしまった。2月以降はさらに増え、1日で10万近く勝てる
日も珍しくなかったが、逆に同じくらい負ける日も同様に増え、取ったり取られたりを繰り
返すようになった。

荒っぽさを反映するように売買代金も増え、3月以降は1日あたり2,000万、時には
3,000万を超える日も珍しくなくなった。ちなみに、売買代金が3,000万というとかなりの
手数で、手数料も(楽天で)1万5千円も払っていたことになる。これは最近(2011年)でも
ほとんどないと言っていいくらいだ。先の3月の大震災直後に超えた日が1~2日あったと
思うが、それ以降もそれ以前も今年はその半分すら届かない日がほとんどだ。

今と当時とではやり方も違うので一概には言えないが、手数が多いということはそれだけ
チャンスが多かったということかもしれない。もし、当時と今とを比べて、一点だけ市場で
大きく違う点を選べと言われれば、それは呼値が変わったことを挙げたい。

制度変更は翌年(2008年)になってからのことであるが、以降新興市場を中心として
10~30万までの銘柄が触れなくなる。ここではまだ先のことであるのでこれ以上は触れ
ないが、この頃売買代金が多かったのは、一端を10~30万までの新興銘柄が負って
いたことを忘れてはならない。翌年から格段にチャンスが減ってくる。

話を戻すと、3月以降調子をやや崩しかけており、ここは気持ちを引き締めるためにも、
5月から生活費を毎月15万出金することにした。これが今のように株で生活するように
なった始まりだ。楽天の出金履歴をみると、調子の良かった2月に2万、次いで3月にも
5万出金しており、これも気持ちの上で助走となっていたのかもしれない。

それに現実問題として貯金が底をついてきたというのが、やっぱり一番大きい。前年末に
行政書士の試験に落ち、もう1年頑張ろうと決意した時から「株で生活費は稼がなくちゃ」
という思いも強くなっていた。

会社を辞めた時は質素であれば2年くらいは暮らせる貯金はあるだろうと思っていたが、
考えなしの性格のせいか、こんなに税金が高いとは思っていなかった。国民健康保険の
保険料がこんなに高いはと思ってもいなかった。残業も多かったせいか前年の給料は結構
もらっていて、反動として会社を辞めて1年目はべらぼうとも思える額だった。住民税や年金
も痛かった。とても3ヵ月の失業手当では相殺できなかった。

また楽天に口座を開くまで待ちきれず手を出して溶かしてしまった松井での30万の損失も
痛かった。株を始めてちょうど1年が経過した時、すでに貯金は底をつきかけていた。

~続く~

(恋の歌謡日/ ゆず )

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ここ5年間を振り返ってみても「年々厳しくなってきている」とは常々思うが、その逆は到底
考えられない。もちそん、人は昔を懐かしんで良く思う傾向があるので、それを差し引かな
ければならないだろう。それで少し冷静に考えてみた。

だけど、この5年間で起きた出来高やボラ、個人投資家の減少と、それに反比例する
外国人比率の増加、呼値変更や高速プログラム売買の増加、などを冷静に数値で見て
しまうと、やっぱり昔の方がデイトレし易かったとしか思えない。「地合い」が良かったのだ。

毎月10近くもIPO(新規公開株)があった2006年が懐かしい。最近株をはじめた人
だったら、「IPOって何?」とすら思うかもしれない。ここ数年IPOがめっきり減った一方、
TOBによる株式非公開の流れ、倒産や上場基準が満たせず退場する銘柄が相次いで
いる。入ってくるより出て行く方が多い、新陳代謝の少ない市場が栄える訳ないのだ。
当然デイトレするにも厳しいものとなる。

また、私が株を始めた2006年は株のデイトレブームの終焉を迎えた年でもあった。
1999年の手数料自由化を契機に2002年頃からデイトブームが始まり、2003~4年頃
には少額の元手から億万長者になった若者が登場し、メディアにも取りあげられていた。

その頃、書店にはデイトレ本が溢れていた。私が株を始めた2006年もちょっと大きめの
書店に行くとまだデイトレコーナーが設けられていたと思う。今でこそFX関連書籍が書店
に山積みされているが、それは当時の株のデイトレ本が置き換わったもの、と考えると
わかりやすいかもしれない。株のデイトレ人気はそれくらいあったのだ。

デイトレブームの隆盛時、私はまだ会社勤めをしていたが、複数台のモニターを格好良く
使いこなすデイトレーダー達をテレビで目にし、内容はよく分らないがミーハーな私は
「面白そう、いつか自分もやってみたい」と憧れていたのかもしれない。私の身近な知り
合いでは誰も株をやっている人はいなかったので、テレビや新聞くらいでしか、「デイトレ」
という言葉を聞く機会はなかったと思う。

その後、ライブドアショックやリーマンショックを経て、市場は徐々に縮小し、資金が
引き揚げられ、同時に個人投資家も去っていった。だが、この5年間で言えば、私が株
を始めた2006年は斜陽化し始めたとは言え、まだ市場に活気があった。今では触ること
がまずないと言っていいくらいだが、ヘラクレス(現ジャスダックに統合)にはピチピチ跳ねる
元気のいい銘柄が沢山あったのだ。この5年で一番取引しやすい年でもあったと思う。

それは今だからこそ実感できることだ。当時はまだ1年目だし、分らなかった。もし今後
さらに5年くらい取引を続けられたとして、この10年間を振り返ってみた時に、今が厳しい
のか、それとも「まだまだ甘かった」となるかは分らない。だけど、願わくば前者であって
欲しいものだ。

だから、初めの年、少しくらいプラスで終えられたからといってうぬぼれてはいけない。
そう当時の自分に言いきかせたかった。なぜなら、その後相当苦しい時代が訪れる
からだ。未熟な私でも勝たせてもらえた、おおらかな時代だった、と考えておかないと
いけないと思う。

今回は一回で入りきらず長くなってしまったので、2本立てした。来週1週間は充電し、
再来週は2007年から再開したい。

~続く~

(M/ PRINCESS PRINCESS)

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今回はちょっとまとめ風に、2006年と現在とを比較しながら書いてみたい。

2006年は一時資金を半分に減らしながらも、プラ転できたのだから頑張ったとは思う。
だけど、自分なりに頑張ったとは思うが、この時はまだ「地合い」に助けられたとも思う。

ここでの「地合い」とはデイトレし易いかどうかいう意味だ。はっきり言ってこの時は今の
「地合い」と比べればまだまだぬるかったと思う。生活費は考えなくていいから、今もう
一度80万から始めて半年で倍にできるか、と言われるとその自信がない。株で何年も
暮らしている今と当時とでは、腕もかなり違うと思う。だけど自信がない。「地合い」が
全然違うのだ。

私が株を始めた2006年といえば、1月にライブドアショックが起こった年だ。その後
リーマンショックを乗り越えた2009年初頭まで、3年ほど、新興や低位株はただひたすら
下がり続けた。当時の日経平均は1万6千円前後で、多少時間差があって翌2007年に
1万8千円のピークを付けるが、2008年リーマンショックが起こってからは新興株を
追いかけるように、雪崩のように落ちていった。

そう考えると、私が株を始めた2006年4月は暗黒の3年間の入り口だったとも言える
かもしれない。なんとも恐ろしい時期にのんきに始めたものだ。私自身はライブドア
ショックそのものは相場で経験していないが、取引をして行く中でその影響は大きく受け
続けていたのだ。

だから、初めの3年くらいは株というのは下がり続けるものだと本気で思っていた。私が
大負けした、この5年間で株価が1/10になったドリテク(当時はヘラクレス)も例外では
なく、半年や1年で半値になるのは新興株ではザラだった。1日、2日の上昇ならまだしも、
1ヵ月とか2ヵ月のトレンドとして上げ相場というものを経験したことがなかった。「もう
ここら辺が底かな」なんてちょっとでも欲目の逆張り目線で買いを入れると、ことごとく
裏切られていた記憶がある。

その後、下げ止まって今に至るが、現在でも日経平均は未だに1万円前後をうろちょろ
しているし、今でもJASDAQ(旧ヘラクレスを含む)やマザーズの新興は2006年と比べる
のがかわいそうなくらい沈んでしまっている。

こういう下げ相場の時代が長かったから、現物しか扱えない私にとって、生き残るすべは
逆張りの1円抜きくらいしか思い浮かばなかったのかもしれない。下げ相場にあっては、
場中であっても持ちすぎるのは危険だ。なるべく抱え込まず、ごく短時間で手じまいする
必要があった。翌日への持ち越しは言わずもがなだ。

2006年は初めの年だったので、順張りも試してはいたと思う。時々は1泊2日の持越し
も何度かは試して見た。だけど、上手くゆかない。銘柄を選定する能力もなかったし、
自分の性にも合わなかったのかもしれない。そんな中で、下げ相場でも順張りに比べ
れば、逆張りはチャンスはあるように思えた。私には必然的にそれしかなかったのかも
しれない。それに大きな一発は狙えなかったが1~2円抜きを地味に繰り返す、いわば
薄利多売のやり方は自分にあっていたのだと思う。

~続く~

(19 GROWING UP/ PRINCESS PRINCESS)

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猛スピードで資金を減らしていったが、それほどジタバタ焦ったという印象がないのが今と
なっては不思議だ。だけど考えよくみたら「そりゃそうだな」と思った。というのは、それは
ひとえに生活が掛かっていなかったからだ。

たいていの株の入門書には、「株は余裕資金でやること」と書かれているが、それはその通り
だと思う。当時の私は生活費を別に用意していたので、最悪株の資金が全部なくなっても
取り立てて生活に困ることはなかったからだ。それなら好き勝手に使える。

その面、今と比べれば真剣さが足りない所は多いにあったと思うが、大胆に試行錯誤できる
というメリットもあったと思う。逆に、生活が掛かっていたら、「取らなきゃ」というプレッシャー
も掛かってくる。一般的に「株は余裕資金でやること」という教えの意味するところは、株取引
は精神面が大きく影響するため、大金を扱うのに余計なプレッシャーが掛からない方がいい、
ということだろう。

結果から言うと、このプレッシャーがないというのが、やっぱり私にとっても大きかったようだ。
資金を半分にまで減らしても、変に物おじすることなく、伸び伸び取引できたのが良かったと
思う。それに、もともと変な自信と前向きさがあって、「初めの内は負けるのは仕方ない、今は
勉強代だと思って、その分経験を積めばいい。いつか必ず取り返せるはず」なんて思っていた
記憶がある。

私は「習うより慣れろ」タイプなので、自分の目で見て体験したことを、体に刻み込むことを
重視したい方だ。とにかくその場に飛び込んでやってみようという考えなのだ。株でこの
やり方は普通無謀かもしれない。

株に勝つやり方は人それぞれだと思うが、少なくとも私のやり方はスマートではなかった。
入念なバックテストを行い、必勝の準備をした上で取引に臨むようなやり方は賢い人がする
ことだろう。それとは違い、私はローソクや板の見方もろくに知らないままデイトレを始めた
のだから無茶もいいところ。はじめはお金をどぶに捨てるようなものだったかもしれない。
現に一ヶ月ちょっとで資金を半分も減らしてしまったのだ。

だけど、本で読んだ知識よりも、実際に身銭を削って取引した経験の方が何倍も価値が
あるとも思っていた。社会人での経験からもそう感じていた。時間がもったいないので、
本をじっくり読むくらいだったら、1日でも多く1回でも多く取引をした方がいい、とも思って
いた。場は午前午後を合わせても1日4時間半しか開いていないのだ。身銭を払って取引
すれば真剣になるし、その分理解も早い。その考えは今でも変わらない。

仮に1日20回取引(往復)をしてそれを1ヵ月続けたら400回、1年続けたら4800回も取引
をしたことになる。取引回数だけでどうこう言うつもりはないが、1年で数回しか売買しない
ようなベテラン長期投資家に比べれば、よっぽど多くの取引経験を積んだことになる。

ザラ場にずっと張り付いて、板とチャートを眺めていれば、「ザラ場」という現場にかなり強く
なるはずだ。そういう経験は本を読んでも得られないし、お金を出しても買えないのだ。
デイトレはファンダメンタルズなんて無視してもいいが、その代わり現場に強くなくては話に
ならない。

まあ、そう偉そうに言っても、それは今たまたま生き残っているから言えることだ。単なる
結果論かもしれない。もしそのままスッカラカンにまで負けて退場していたら、とてもそんな
こと言えやしない。言えたもん勝ちとも言えるのだ。

その後、毎日多くの取引をこなし、振り返り、3ヵ月目あたりから徐々に自分が勝てるパターン
が見えてきた。それが今のボロ株の逆張りだ。自分の勝ちパターンを見つけることによって、
5月末に80万ほどだった資金が6月末には100万まで回復し、以降少しずつではあるが、
毎月プラスを維持できるようになっていった。

そしてついに、年末(12月末)には160万にまで達した。元本を回復した上にプラス10万
の小遣いまで得たことになる(松井証券での負けを考慮すればまだマイナスだったが)。
1年目の大納会を終えたときには、「自分でやってきたことが無駄じゃなかったんだ」と
思えた。当時はまだ半どん(大納会の立ち会いは午前中のみ)だったので昼飯にパンを
かじりながら1年を振り返った。行政書士の勉強は少しおろそかになってしまったが、株に
のめり込んで頑張った甲斐があったと思った。

~続く~

(パレードしようよ/ PRINCESS PRINCESS)

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プロフィール
HN:
ねぶくろ
性別:
男性
趣味:
オセロ、ジョギング
自己紹介:
株で生活資金を稼ぐ予定で、資格試験の勉強中。

しかし、見通しが甘く生活費の出金を含めて資金は減り続け400万→100万にまで減少。

まさにがけっぷち、これ以上大きく負ければ即、
退場→職探しコースが待っている。
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