生活費(15万/月)を稼ぐことができず、失敗するまでのデイトレ日記です。
株と試験勉強の両立は大変だった。2月に少し資金を戻したとは言えまだ200万にも届か
ない。すでに貯金はほぼ尽きており、勝っても負けても毎月の生活費出金は必須となる。

いや、例え貯金があっても生活費は意地でも毎月下ろさなければならないと思っていた。
調子が悪いといって一度でも出金しない月を作ってしまえば、それが最後のような気が
した。その後も出金出来なくなる月が出てすぐにやってゆけなくなるような気がした。
この先もずっと生活費を落として行かなければ前に進めないというプレッシャーは相当な
ものになっていった。

また次の試験の方もこっちはこっちで難関だった。1次と2次試験があり、過去問と合格率
を勘案すると、1次ですら行政書士に匹敵する難しさだった。よっぽど気合いを入れて取り
組まないといけないレベルだった。

いろいろな面で負担が大きかったのもしれない。3月は180万でスタートしたが、月末には
150万、さらに4月末に130万、5月末には110万と、右肩下がりで資金を減らしていった。
1日で10万以上の大負けはほとんどなかったが、負ける日の方が多く、勝てなくなって
しまった。自分では必死にやっているつもりだが何がダメなのかが分らない。

とうとう5月半ばには一時100万を割れた日があった。ちょうど同じ頃、資格の1次試験も
あった。前の年に行政書士の試験を受けた時には気持ちも充実して勉強も株も順調
だったが、今回はその逆だった。株で調子が悪いと負けた事が気になって勉強に力が
入らず集中できない。勉強に集中できないと、今度は逆に気持ちが落ち着かず場に集中
できない、悪循環だった。

思うように勉強が進まず、試験直前にはせっぱ詰まり、今までは勉強は勉強、株は株と
分けていたところを場中に講義のDVDやMP3の音だけ聞いたりもした。朝のジョギング
中にヘッドホンで聞いたりもした。だけど、これも効果のほどは怪しい。いや本当はもっと
早くからやっていれば効果はあったのかもしれないが、すでに焼け石に水だった。

結局、5月の1次試験の結果はボロボロだった。1ヶ月後の合否の発表を待つまでもなく、
試験の手応えがなかったし、その日の自己採点でも合格ラインにほど遠いことを知った。
後で冷静に振り返ってみれば勉強時間も足りないし、やり方もまずかったので落ちるのは
仕方ないと思う。だけど、それでも直前期には自分なりに追い込んで一縷の望みを抱いて
いただけにがっかりしてしまった。

6月に入っても負けが先行し、常時100万を切る状態が続くようになってしまった。100万と
言うのは、当時自分なりに生活できるギリギリのラインと思っており、かなり意識していた。
それで危機意識が働いて5月に一度切ってからもすぐに100万に戻したし、その後割れそう
になっても踏ん張って跳ね返してきた。

だけど、6月に入ってからその危機意識も弱くなってしまった。100万を切ってもそれが普通
になってしまった。そして90万も割れ、とうとう85万にまで落ちてしまった。まさに、どん底の
どん底だった。

ちょうどその頃、分っていたことではあったが、1次試験の不合格通知が届いた。最後の
追い打ちだった。一応来年もまた受けようとは思ったが、1年先のことであるし、そこまで
株で食いつないでいられる自信がない。第一、2~3ヵ月先すら今の生活を続けられるか
どうかも怪しい。勉強する気が起きない。

試験も落ちたし、資金が85万にまで減ってはノーテンキな私でもさすがにダメだと思った。
「ここまで減ればもう株で食うのは無理じゃないか、仕事を探した方がいいんじゃないか」、
とか「もともと150万の元手で1年も暮らせたのだし十分頑張っただろう、試験に落ちて
区切りも付いたのでこの辺が潮時じゃないか」と、自分を納得させるような口実も考えたり
した。

一応もう少しだけ続けることにはしたが、すでに待った無しの状態だった。すぐに職探しを
するにしても2~3ヵ月分の最低限の生活費だけは残しておかないといけない。ずるずる
とはやってゆけず、どこかで尻を決めて置かなければならない。

そこで、6月に入って100万を常時切るようになってからは資金80万をデットラインと決め、
これを切ったらすぐに株を辞めると決めた。もう80万でも90万でも同じような気もしたが、
80万と決めたのは自分の最後の意地だった。ただし、これは絶対と決めた。一方で今の
生活はそう長くは続けられないだろうとも思うようになった。これまでの職歴や行政書士の
資格を活かして自分に何ができるのだろうかと、悶々と先の事を思うようになった。

~続く~

(月のしずく/柴咲コウ)

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2008年は1月後半にユニオンで大敗を喫し、2月から資金100万での再スタートと
なった。この頃から「退場」という言葉を頻繁にデイトレメモで使うようになる。強く意識
するようになってのことだろう、当然だと思う。

自分でも不思議だなと思うのだが、株価が短期間で急落すると一時的にせよ、少し
リバウンドするのと同じように、自分の資金も短期間に大きく目減りすると、一時的に
少し戻すことがよくある。その理由としては、大負けをした直後なので危機意識が働き、
慎重に指し、かつ損切りをためらわずにできることが挙げられると思う。また資金が
減ったことによって小型車を運転するような感覚で取り組みやすくなる面もあるかも
しれない。

この時もそんなリバウンドの法則(?)のようなものが働いて2月は好調だった。相変わ
らず危なっかしい取引はしていたが、ボロ株の動きと地合いが良くて助けられた。2月末
には180万近くにまで回復し、生活費の出費も考慮すると、ユニオンでの損切りから1月
余りで100万近くも取れたことになる。いくらボラがあった頃とは言えこの資金では驚きだ。

もう一つ良いことがあった。それは昨年11月初頭に受けた行政書士の試験に受かって
いたことだ。合格発表はユニオンを損切りした直後、確か月末だったと思う。事前の
自己採点(80点)では十分合格ライン(60点)に乗りそうだと思ってはいたが、マークミス
もあり得るし、点を読みにくい記述試験もある。1度落ちた試験でもあったのでその時は
本当に嬉しかった。ただ、自己採点がかなり良かったためその後で油断してしまった。

話は戻るが、試験は前年11月初めで、これは10月半ばの一時400万近くあった時期
にもほぼ重なる。その頃は試験直前の追い込みで、勉強はもちろんのこと、株取引も
緊張感を持って取り組んでいた。

この頃は土日関係なく取引と予習・復習以外はほとんど勉強に充てた。忙しかったが
やる気もあり、試験勉強を生活の軸として、勉強は勉強、取引は取引と、気持ちが乗って
メリハリの利いた時間を過ごせたのではないかと思う。だからこそ、その軸を失った時の
反動も大きかったのかもしれない。

試験が終わると自己採点でほぼ合格を確信し、そこで張り詰めていた糸が一気に切れて
しまった。2年越しの試験勉強からようやく解放されたと思うと気が緩み、それが取引にも
悪影響を及ぼしたふしがある。「行政書士の試験に受かれば、株を辞めたっていいの
だから思いっきりやろう」と、羽を伸ばすような気持ちで雑な取引が多くなってしまったの
かもしれない。

結果的にはあまり効果はなかったかもしれないが、結果が良くも悪くも試験後の気の緩み
を自分自身警戒していた。そこで結果が良くてももう一つ別の試験を受けようと思った。
人間とは欲深いもので、今まであれほど「行政書士に受かりたい、受かりたい」と思って
やっていたのに、いざそこに届きそうになると行政書士だけでは単独の開業が難しいので
もう一つ何か取ろう、なんて欲が出てくる。

また、受かりそうだと思うと、急に本当にそれで食ってゆけるのか不安になった。初期登録
するだけでも30万もかかる、開業費はどうするのか、この不景気果たして仕事はあるのか、
などと不安は尽きず、怖くなった。そんなことは当然事前に調べておくべきことだ。

要は考えが甘かったのだ。本気でその先のことを考えていなかった。何の試験でもそう
だが、本当は受かってからどうするかの方が大事なのだ。だから別の資格取得を目指す
のは本気で行政書士で食って行こうと考える事を避ける、逃げ口上でもあったと思う。

一方、別の思いもあった。ピーク時からは大きく目減りしボロ負けしていたとは言え、
すでに毎月の生活費を楽天口座から引き落とす生活を1年近く送っていた。それで、
それなりに自信も出てきたのか、まずは今の株での生活を続けながら勉強をし、そこで
できればお金を貯めたい、それが現実的だと思った。

株での生活に「無職」という肩書きは付くが、それは私にとってそれほど重要ではない。
体裁は二の次で自分の力で食えるかどうかの方が大事だ。それを目指して会社を辞め
たのだ。贅沢はできないが今の生活スタイルは自分で気に入っていた。株で稼げるのなら
このまま続けたいとの思いもあった。何より私は株が好きだった。

だけど、当時の私には、それでもまだ本気でずっと株で食って行こうとする意気込みが
なかった。そこで次の試験を本命とし、これに受かれば本当に株を辞めようと思った。実際
受かったら研修とかあるので、辞めざるを得なくなる。資格の勉強と株取引の二本立てで
2008年から生活しようと考えた。2006年に株を始めた時は試験勉強を主としたが、
この年からは勉強も株もどっちも頑張る、五分五分の割合で考えるようになった。不器用な
私には土台難しいことだった。

~続く~

(くちづけ/いきものがかり)
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今回から2008年に入る。リーマンショックで世界的に株価が大暴落した年だ。ちょうど
3年が経とうとしている今(2011年8月)もまさに世界的に株価下落が著しくなってきた。
後から格付けショックなどと名が付きそうなくらい恐ろしい下げっぷりだ。

それでは内容に移りたい。始めに言ってしまうと、この年資金はずっと100万台だった。
底辺をさまよい資金的には一番辛かった時期だった。そのため、いつも退場との隣り
合わせで、切羽詰まってこのブログを始めたりと、いろいろ迷走した年でもあった。

この年は初っぱなから地合いの悪さ全開だった。日経は1万5千円台でスタートしたが、
年初1月4日から一時700円オーバーもの下げ幅を記録した。正月ほろ酔い気分も冷め
切らないうちに、いきなり家を出たら大きな台風に巻き込まれたような感じだ。その後も
下落が続き、この年は1月だけで日経平均は2千円近くも下落した。

そんな状況の中で自分の取引はと言うと、相変わらずダメダメだった。前年末にあれほど
立て続けにボロ負けしたのにまだ懲りていなかった。これだけ地合いが悪いのに、まだ
損切りできずのそのままだったり、逆張り心がうずいて意図的に大引け近くに買って、
そのまま翌日に持越ししたりを繰り返していた。

しかも、明らかに目論見とは違うのに自分の間違いを認められず、下がっても下がっても
ナンピンしまくって、余力を使い切るようなやり方だった。これでやってゆけるはずがない。
取り返そうという気持ちがあったのだと思う。それでとうとうある銘柄で致命的とも言える
損失をたたき出してしまった。

銘柄は7736  ユニオンホールディングスだ。前年(2007年)暮れに50万、1月9日にも
10万ほど負け、それで 一発逆転で取り返したい気持ちがあったのだろう、さらに落ちて
きた所を11日から再び買い始め、下がっても下がってもナンピンし(15日、16日)、余力
一杯まで買った。

50円台から買い始め、平均単価48円ちょっとで最終的に4万5千株ほどを掴んでいた。
16日時点で終値が28円、この日ですでに含み損も90万を超えていたが、ここがまだ
底ではなかった。その後も下がり続けた。

だけどここでもまだ切れない。そこまで放置するのがもちろんいけないが、損失の額が
大きすぎてすでに切るに切れなくなっていた。「こんなに下がるのはおかしい、いつか戻す
だろう、今日か明日か」と思い込んでいた。その後は、ただ上がってくれることを祈って、
ただ含み損が増えてゆくのを眺めるだけの日々を過ごした。残っているたった数千円の
余力では他にデイトレしようにも何も買えなかったのだ。

とうとう17日には含み損が100万を超え、この日はデイトレメモを書くのも途切れていた。
翌日にはまた復活していたが、この日のメモには「昨日はデイトレメモすら更新しなかった。
なさけない。」と書かれていた。ちょっと補足すると、デイトレメモとはエクセルに記した取引
履歴兼反省メモのことだ。デイトレ日記の前身とも言える。当初から勝っても負けても記録
し続けようと決め、実際2年近く1日も欠かすことなく付けていた記録だ。これがあるから
今でも昔のことを振り返ることができる。

この時すでに株で生活している身でもあったから、確かにこの体たらくは情けない。ただ
当時の心境を思い返すと、よっぽど何もする気になれなかったのだろうと思う。資金200万
で100万の含み損はあまりにもきつい。自業自得とは言え今でもその気持ちを思い返すと
胸が詰まる。

18日に一時19円まで下げたが、終値は26円まで切り返し、翌21日も終値は28円で若干
戻り基調にあるかと思われた。だが、22日には再び22円まで下落し、ようやくここで決心
が付いた。23日、24日と2日かけて23円でやっと全部損切りした。112万もの損失だった。
後にも先にもこれ以上大きな損切りはない。私にとって人生最大の損切りだった。

以下に損切りした日(24日)に取った日足チャートを載せておく。特に表立った悪材料も
ないのに1ヵ月で株価が1/6になる大暴落だった。後にユニオンの社長らが株価操縦の
疑いで逮捕されたことを知った。

ef41f522.JPG

損切り後、手元には資金が105万しか残っていなかった。2008年に入ってわずか一ヶ月弱
で半分以下にまで減らしてしまった。前年10月には400万近くまであったことが夢のよう。
今から思えばここが私にとって取引の本当のスタート地点だった。資金100万での生活の
はじまりだった。

(Runner/爆風スランプ)

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「資金1000万までの道のり」は来週一杯までお休みいたします。

わざわざ見に来て下さった方には申し訳ありません。
いつも足を運んで下さってありがとうございます。

10月に一時400万近くにまで達してしまうと、ギャンブルであったのにますます自信が
付いてしまった。そしてますます損切りができなくなった。私にとって致命的な欠点である
「損切りできない病」だ。前回運良く400万近くまで増えたと言ったが、これは考えように
よっては不運だったといえるかもしれない。

というのは、年末になって1792  みらい建設グループ、4655  NOVAなど倒産銘柄が
相次いだからだ。当時の私は倒産株の怖さが分っておらず、倒産株であっても「乖離率」は
通じると思ってしまったのだ。まさに飛んで火に入る夏の虫だ。逆張りで自信満々の所へ
倒産株が次々生まれ、ボロ株が大好きな私はそれに飛びついたものだから倒産株を
きっかけに10月から立て続けに大負けしてしまった。

10月には1792  みらい建設グループで80万、その2日後にも同じ銘柄50万、12月には
7736  ユニオンホールディングスで50万、8206  ステラ・グループで25万などだ。これら
の失敗の共通点として、1日で負けたものもあるが、そのほとんどが1~2日くらい持越し
して含み損を拡大させて負けていることだ。履歴を見ると、いくら暴落してもその日のうち
に投げていたらここまで傷口が広がることはなかっただろう、と思う取引が多い。

だけど、それでも自信だけは満々で下がっても下がっても資金が尽きるまでナンピンし、
結局沈没して大負けしまくった。今よりはるかに手数も多くぶんぶん丸だった。その結果、
年末(12月末)時点では再び220万ほどにまで資金を減らしてしまった。10月の最高値
から比べたら僅か2ヵ月ほどで半分近くだ。生活費(15万)の出金を加味しての資金だから、
それを考えれば多少は負け額も減るが、それでも11、12月の負けっぷりはすごかった。

この頃の環境をみると、すでに株式市場は米国発のサブプライムローン問題で大荒れ
だった。NYダウが200~300ドル下げることも珍しくなく、それに引きずられ日経平均も
暴落した。問題が大きく取り沙汰されたリーマンショックは2008年であったが、その引き金
はこの年にあったと言える。2007年後半から暗雲立ちこめており、当時のデイトレメモを
読むと年末にかけてはかなりの地合いの悪さだったことが窺える。

そんな状況だったので、下がった銘柄を持越しての逆張りはかなり危険だった。まして私が
好んで触る銘柄は100円かそれ以下の、いわゆるボロ株が多かったので、倒産のリスクも
あったし余計持ち越しは危険だった。

メモを読んでいると、10万とか20万とかの含み損を抱えていても平気で持越しをして、
大怪我をするパターンが本当に多く、「なんでもっと早く切らないんだろう」と歯がゆくなって
しまう。また、お腹いっぱい大量の含み損を抱えて身動き取れなくなり、「ぜひ明日こそNY
が大きく上がってほしい」なんてお祈りし、翌日ドカンと負けているのを読むと、自分で書い
たのに情けなくて読むのが少し辛くなってくるほどだ。

今だからこそ分ることだが、資金が急激に増えてもそれに耐えられる精神力や技術、
ひっくるめて技量、がなければ資金はまた元の位置に戻るのだ。当時はまだこの技量が
足りなかったと思う。勝って資金が増えたら増えただけロットを増やしていった。そうする
ものだと思っていた。なぜなら、よくデイトレの入門書なんかには複利を利かせば数十万
で始めても1年で数倍にすることも可能、なんて書かれておりそれを鵜呑みにしたからだ。

だけど、これは言うほどほど簡単なことじゃない。確かに複利の計算ではその通りかも
しれないが、入門書なんかにそういう絵空事を書いてしまうのは、ある意味良し悪しだと
思う。資金が増えれば増えるほど、同じ率で増やすのは難しくなるからだ。資金が増え
たら増えただけ扱いが難しくなってくる。

大型トラックやバスと軽自動車の運転が同じ技術でできるはずがない。大きな車を運転
できる人ならば優れた車両感覚が身についているので、軽自動車の運転は造作もない
だろうが、逆は簡単ではない。大きな車を運転するには特殊免許(技術)が必要であるの
と同じように、デイトレであっても大きなお金を動かすにはそれなりの技量が必要なのだ。

もちろん、100万も1000万も同じくらいの「小さなお金」とみなす、ある意味始めから
箍(たが)が外れた、人もいるかもしれないが、私はそうではない。100万くらいだったら
まだしも400万だと大金と意識した。大金を手にして浮かれたとも言えるし、逆にある意味
高いところでびびったと言えるかもしれない。

いずれにしても当時の自分にはまだ300~400万という大金を扱うには早かったという
ことだと思う。何かの拍子で400万近くまで辿り着いたが、すぐに門前払いを喰らったよう
なものだ。少しくらい運良く勝てても、技量が伴わなければすぐまた元のさやに戻るという
ことなのだ。2007年の末時点で資金は220万にまで減った。その時はだいぶ減らしたと
悔やんだが、ここで本当に反省していればまだ良かったと思う。まだ反省の気持ちは本気
ではなかったのだ。

~続く~

(カブトムシ/aiko )

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プロフィール
HN:
ねぶくろ
性別:
男性
趣味:
オセロ、ジョギング
自己紹介:
株で生活資金を稼ぐ予定で、資格試験の勉強中。

しかし、見通しが甘く生活費の出金を含めて資金は減り続け400万→100万にまで減少。

まさにがけっぷち、これ以上大きく負ければ即、
退場→職探しコースが待っている。
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