生活費(15万/月)を稼ぐことができず、失敗するまでのデイトレ日記です。
しかし、ボランティアへ出かけるからには普段通りというより、むしろ普段以上に笑顔を作ってゆかなければならない。私はボランティアを始めるにあたり二つ絶対そうしようと決めたことがある。一つはお年寄りの話をよく聴くこと、もう一つはいつも笑顔でいることだ。さっきも言ったがデイサービスはお年寄りが心穏やかに過ごす場所。私にとっては非日常の世界であり、しかめっ面した者が居たらおかしいのだ。通うからには「無理してでも笑顔でいなければならない」、そう思ったのだ。

でも名は体を表すとでも言うのだろうか、単細胞と言うべきなのだろうか、初めは作り笑顔だったとしても少しその場にいると本当に楽しくなってくるのだ。帰りにはまさにほんとに自分が楽しみ、楽しい気分で帰宅する。お年寄りに喜んでもらうためには、まず自分が楽しまなければいけないから、そこまでは悪いとは言わない。その後が問題だ。

そうするとコロッと数時間前にやらかしたことを忘れて家に帰る。本当は家に帰ったらほっぺを両手で叩き、現実世界に戻らなければいけないのだ。ここではドカンとやらかしたそのままの散らかり状態。後始末は何もできてないのだ。本来はそうして自分を追い詰めないといけないのだが、楽しい気分で帰ってくるものだからスパッと頭を切り換えられない。まあいっか、まず飯を食ってからにするか、となる。でも夕飯を食べるとますます頭もぼーっとしてきてさらに考え事をする気分でなくなる。そんな形でろくに反省もしないまま流してしまうことが多くなった。

ボランティアを始める前は、ほんとに大きな失敗をしたとき、反省するのも嫌で、手短にルーチンワークだけやって、一杯引っかけてふて寝してしまうこともよくあった。でもそんな時でさえ酒飲みながらも頭の中は負けたことで一杯だ。酔っ払っても寝付けないし、一晩が長くて長くて堪らない。翌朝のジョギング中も、その後のシャワーでも、ずっと頭の中は負けたことで一杯になる。その間、あーすべきだった、こーすべきだったと考えがぐるぐる巡るのだ。今にして思えば、これはこれで反省になっていた。四六時中、失敗した取引が頭を巡るのは、もうそれだけで反省しているとも言えるのだ。
さて、話を戻すと、残るは社会貢献したいという気持ちだ。これは私にも大いにあった。それが去年夏から始めたデイサービスでの傾聴ボランティアだ。もともと普段誰ともしゃべらず一日中部屋にこもっているのは良くないと、社会とのつながりを求めて始めたこと。ただそうは言っても、おこがましいかもしれないが、同時にお年寄りの為に何かしてあげたいという気持ちがあったのは確かだ。それがなかったら、頻度は落ちたが1年以上も続かないと思う。

通ってみるととても楽しかった。ただ話を聴き、メガネを拭いてあげるだけでもものすごく喜んでもらえたのだ。これには私の社会貢献欲がビシビシ満たされた。はっきり言って幸せな気持ちになった。ちょっと大げさかもしれないが、私というものを認めてもらえたような気がしたのだ。

でもこれがまたやっかいなことだった。デイサービスとは心穏やかに過ごす終の棲家。競争や欲望とは無縁の場所。まさに株式相場と対極とも言える場所にあったからだ。私は一度好きになるとはまり込む性格。デイサービスにはまればはまるほど、生活が満たされるが、その見返りにハングリーさは風船がしぼむように、シューっとしぼんでいったのだ。

しかしこれも勝てない言い訳にしかすぎないだろうと思っていた。一方で、心穏やかに過ごすということはメリットであり、これは取引においてもとても大事なことだからだ。いつもがっついて気持ちがせかせかしてれば勝てるものも勝てなくなる。心が落ち着いてこそ、まともな取引もできる、そう思っていた。

実際にはどうやらこれがかなりの誤算だった。いや、本来はこの考えは間違っていないと思うが、私の心の弱さのせいかもしれない。または頭の切り替えがスパッとできない不器用な私ならではと言えるかもしれない。

ボランティアをはじめて初めの半年くらいは週二で定期的に通っていたが、当然それだけ通っていればドカンと負けたり、ドカンとは至らなかったけれどもギリギリの所で助かった、いわゆる、やらかした日は多々出てくる。ボランティアへ通う前だったら、ザラ場が終わって30分くらい放心し、そのあと苦虫を噛み潰したような顔で脳内反省会を開くのだが、まさにその時間に出かけなければならない。今にして思えばそれが貴重な時間だった。
いや、必ずしも昔が良かったと言っている訳でもない。昔は毎月毎月が自転車操業だった。仮にちょっとでも大きな病気や怪我をしたらそれだけで取引の資金を失うというという綱渡りな状況だったからだ。まだ若かったから冒険が許されるという面もあるだろうが、いい歳してそんなギリギリの生活を何年も続けて良いはずもないのだ。「無職」を貫くには、人並み以上に「蓄え」を作るようにしないといけない面もある。だから昔より今の方が断然恵まれていることは感謝しなければいけない。

でも私の場合、恵まれていることとハングリーさは相反し両方を兼ね備えるのは難しいのだ。恵まれていればハングリーさは失われるし、100万ぽっきりしか手元になければハングリーさは取り戻せるかもしれないが、そうする為には残りすべてを投げだし、本当に逃げ場のない状況を作らないといけない。つもりではダメだ。本当にそうしないといけない。だがそれは相当ためらいがある、じゃあ今までは何だったんだとも思うだろう。自己矛盾の葛藤と今を失う怖さが入り混じってできないと思う。

とすれば、そこそこ恵まれていると認識しながらもハングリーさを取り戻す努力をしないといけないことになる。それが現実解というか、落としどころだろう。そこでも私は大いに苦悩した。普通のサラリーマンであれば、そこそこ腹が満たされている場合(普通の会社は最低限の賃金が保証されているが)、次に目指すのは社内で出世したいとか、あるいは社外で名声を得たい、世のため社会貢献をしたいとなると思う。先月もちょっと触れたが、心理学者マズローさんの言葉を借りれば、物質的要求が満たされた上で、次の段階として精神的欲求を追求するのと同じだ。

でも私の場合、もともと部屋に一人でこもってやっていることなので、そもそも社内での地位向上を目指すのはあり得ないし、社外で名声を得たいという欲求もほとんどない。いや正確に言えば、昔はあったのだが最近はほとんどなくなったという感じだ。敢えて言えばこの日記(ブログ)が該当するのかもしれないが、2年ほど前からなるべく目立たないようにとブログランキングからも登録を外した。そんなことに心を煩わす虚しさを感じたのだ。もっと本質的な中身に注力したい、そう思ったのだ。公開日記とはいえ、かなり恥ずかしい素の自分をそのまま綴っており非公開に近い気持ちでいたかったのだ。

ちょっと余談になるが、実はこの日記は有料ブログなのだ。いや見ている人にとってではない。私にとってだ。というのは、この日記は忍者ブログというものなのだが、3年ほど前から有料になったのだ。厳密に言えば、記事(日記)自体は、それまで同様無料で書けるのだが、課金しないとページに広告が表示されてしまうのだ。その広告が私は大っ嫌いだった。はじめは課金しないと広告が表示されることを知らなくて、ある日突然表示されたのでびっくりした。理由を知ったあと、日記自体はいままで通り無料で書けるならそのままでもいいかと一瞬思った。でも5分もチカチカ見てるともううんざりした。

むかし中学校か、高校の教科書に載っていた星新一さんの小説を思い出す。タイトルは覚えてないが、未来では広告入りのレコードは無料だが、無音のレコードは有料だという話だ。今ではレコード自体が廃れてしまったので、ちょっと合わない部分もあるが、星新一さんが予想した未来は当たり、無広告を買う時代になったのだと感じた。

とは言え、今まで散々無料で書かせてもらってきた恩もある。それからは考えを変え、今までの感謝と大事な日記を有料とは言え、年間たった数千円で書かせてもらえるのだから有り難いと思うようになった。
最近はデイトレで今まで以上に損切りができない。じゃあ損切りするにはどうするか?答えは簡単だ、逆指値をセットしてはじめから損切りラインを決めておけばいいのだ。でもそれがなかなかできない。それはなぜか?負けるのが怖いからだ。じゃあなぜ負けるのが怖いのか?それはデイトレに対する自信がなくなってきたからだ。同時に株で食うぞという覚悟が薄くなったからだ。

一見すると自信や覚悟なんてものは口先だけ、根無し草のようだが私にとってやる気そのもの。今がどんなに負けていてもいい、だけど将来は絶対勝ってやる、という前向きな意思のこと。私はこのエネルギー源なくして株で勝つことはできない。私の場合、はっきり言ってこれなくして、1億持っていようが、10億持っていようが1円たりとも増やすことはできないと思う。

損切りを厳格にするには強い意識が必要だ。言い替えると、それは何としても株で食うぞという強烈な覚悟に他ならない。何百回、何千回ぼろぼろにとやられようと絶対この後何とかするという湯水のような自信や向上心も必要だった。ここ1~2年、特に去年後半からこれらの意識が薄れてしまった。これは結局株そのものに対するやる気が薄れてしまったのだと思う。では去年前半に何があったのか?たくさん勝ってしまったのだ。今年はほとんど勝ててないが、先日数えたらそれでもサブ口座で生活費分は確保でき、なおかつ全部ひっくるめて総資金は5,000万弱まで達していた。

私はもともと無謀ながら資金100万で生活しようと取り組み、手前味噌だがそれが成功したから今があると言えるだろう。ではなぜ成功したかと言えば、根本は何としても株で食ってやるという強烈なハングリーさがあったからだと思う。先の覚悟や自信と同義だ。食うために頑張るというのはあまりに原始的で、低レベルな感じもする。でも食うということは生きるということであり、これに勝る動機はないと言ってもいいかもしれない。私にとってハングリーさ=やる気なのだ。

しかし元々がその動機だけに食うことに関して腹がそこそこ満たされてしまうと途端にハングリーさを失ってしまった。去年少し「蓄え」が多めにできたというのもあるし、デイトレで全く勝てない今年でさえ、サブ口座で最低限の食いぶちくらいは確保できそうな状況だ。もちろんそれなりに頑張ったからであるし、ありがたいと言えばありがたいが、そういう状況だと昔のような強烈なハングリーさを取り戻すのは難しいような気もする。
9月月間成績
週目 日付 収支
第1週 (01日~05日) 16,000
第2週 (08日~12日) 191,000
第3週 (15日~19日) -133,000
第4週 (22日~26日) 96,000
合計   170,000
資金   2,099,490

今月はちょっと早めに締めて、月間成績を書きたい。

結果として今月は3ヶ月ぶりに生活費を確保できた。ギリギリではあるが、ギリギリだろうと何だろうと最低限のノルマをクリアできたことはありがたいこと。本当にほっとした。

手数は今月かなり多く、岡三換算で売買代金(8月21~9月20日分)は7億9万にも達した。それで来月から、もう一度プラチナに復帰できるのが嬉しい。先月から200万ほど入金したのでそのお陰かもしれない(もっともすぐ100万ほど減らしているが)。プラチナへ昇格することにより来月は1/3くらい手数料(金利含む)を減らせると思う。

ただし、そのぶん今月は28万と、かなり払った。ノーマルだといくら手数料が高いとは言え、手数料が今月の利益より10万も多いのは驚く。いかに無駄打ちが多かったが窺える。復帰できそうと喜んでおいてすぐにこんなこと言うのも何だか、恐らく来月はプラチナを確保できないと思う。無駄打ちが多いと言ったが、今月は多少無駄打ちしてでもプラチナを取りたいと無理して触ってしまった面もあるからだ。実際にやってみてプラチナを意識することは取引を乱す要因となると感じた。

それ故、時と場合によるが、来月は再び手数とロットを減らしてゆきたい。ロットを上げたり落としたり、手数を増やしたり減らしたりと、今年はその月ごとに方針がコロコロ変わる感じだ。この辺が今年の取引の結果と心の不安定さを如実に現していると思う。実際には来月の手数料プランのことも考えて今月後半から無駄打ちを減らすようにしている。この方針はしばらく、少なくとも今年いっぱいは変更しないつもりだ。

この後は今月ちょっといつもと趣を変えて日記を書いてみたい。今年も残り3ヶ月となった。年の締めにはまだ早いが、中締めという感じで去年を含めてここ1年くらいを振り返って思うことを書いてみたい。
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株価
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権利付最終日 はい
注意喚起 はい
異常な貸株 はい
使い方はここを参照
2014/7/22 改訂対応
手数料計算(現物)
2013年8月時点
現物

手数料 
片道無料 
手数料計算(信用)
2013年8月時点
信用

手数料 
片道無料 
プロフィール
HN:
ねぶくろ
性別:
男性
趣味:
オセロ、ジョギング
自己紹介:
株で生活資金を稼ぐ予定で、資格試験の勉強中。

しかし、見通しが甘く生活費の出金を含めて資金は減り続け400万→100万にまで減少。

まさにがけっぷち、これ以上大きく負ければ即、
退場→職探しコースが待っている。
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