生活費(15万/月)を稼ぐことができず、失敗するまでのデイトレ日記です。
2月の月間成績が大きな転換点となった。その後もデイトレ日記を続けていたが、あまり
に負けたショックが大きく、また大きく取り戻したいという欲がまだ根強くあることを自分
でも感じ、気を静めるため3月途中からデイトレ日記を再び休むことにした。もちろん
廃止株は触らないというルールは絶対守るつもりだった。
デイトレ日記を休んだ理由はもう一つあった。それは自分の甘さを取り除くためだった。
この頃になると毎日たくさんの人が見に来てくれたし、コメントも毎日のように頂いていた。
ごく稀に心ないものもあったが、多くは勝っても負けても励ましとなるものが多く、負けた
のに涙が出るくらい嬉しい時もあった。「顔が見えなくとも心が繋がるとはこういうこと
なのか」とさえ思ったりもした。私は今までネットでの繋がりにどちらかと言うと否定的
だったが、日々の取引は孤独であり、とても有り難かった。
だけど一方で、それに甘んじてはダメだろうと思う自分もいた。なぜなら、例え大きく負け
たとしてもコメントで励ましてもらえると、それで気持ちが安らぎ安心してしまうからだ。
4月から日記を正式に休止する際、理由に「里心がついてしまうから」と書いているが、
それは言い得て妙だと思う。
始めのうちは日記は日記(仕事)、コメントはコメント(息抜き)、と分けて考えていた
つもりだが、コメント欄での交流を通して里心がついてしまうと、それが取引にも影響
して、厳しい姿勢で取引に臨めなくなってしまうのではないかと思ったのだ。負けた
悔しさをうやむやに流してしまいそうな気がした。
現にその頃そういう気持ちも少なからずあったと思う。そうなると牙を抜かれたオオカミ
のような感じで、もともと元手も少ないし、たちまち株での生活が立ちゆかなくなると
思った。それが怖かった。きちんと気持ちで割り切れれば良かったと思うのだが、
そこまでの精神力が自分にはまだなかった。
そこで一旦振り出しに戻し、もう一度孤独な厳しい世界に潜り込むため、デイトレ日記を
再び休むことにしたのだ。
結果的にこの選択は間違っていなかったと思う。2月の大敗後、株取引を「仕事として」
取り組む意識はより強くなったと思う。しかしなにぶん結果が伴っていなかったので、
この頃はまだ日記の中でその言葉を口にすることはなかった。だが自分の中で確実に
意識が変わったのがこの頃からだったと思う。
ちょっと話が戻るが、前年末くらいから、資格試験の勉強はほとんどしなくなって
しまった。ブログを始めてから株に取り組む真剣さは増したが、一方で試験勉強の方は
おろそかになりがちだった。前年は当初、勉強と株の2本立てて頑張るつもりだったが、
食うことが最優先となった。実際ずっと毎月綱渡りの生活が続いていたので、勉強する
気持ちの余裕もなくなってしまった。
ただ、株での生活は、コツコツドカンの繰り返しで結果が今ひとつ伴わない。がむしゃら
にやるだけやってみようという気はあったが、近いうち職探しをするだろうとも思っていた。
それまでは株に集中しようと思った。前にも書いたが、当初株での生活はそう長く続く
とは思っていなかったし、2008年を越せるとは思ってもいなかったというのが正直な
気持ちだった。
話を戻す。その後、かなり慎重に指すようになったせいか徐々に調子がよくなっていった。
それに地合いが上向いてきたことも追い風となった。前年までとことんまで売られまくっ
ていたボロ株が多かったせいか、長きにわたる金融不安が和らぐと3月以降一斉に花を
咲かせるかのように吹き上がる銘柄が続出したのだ。
はっきり言って4月~6月くらいまでは入れ食い状態だったのでないかと思う。リーマン
ショックを乗り越えて本当に良かったと思った。すべてのセクター、すべてのボロ株に
買いが入ったと言っていいし、出来高もボラも大きかった。この頃でも持ち越しはしな
かったが、大きく上昇した後ちょっと押されたところを拾っておけば、後から来た人が
次々にそれを拾ってくれるという感じで、上昇の好循環が続いたのではないかと思う。
なかでも大きく勝てたのが4月だった。この月はなんと100万近くも勝ってしまったのだ。
金額にも驚いたし、負けたのがたった1日だけというのも今までの自分には信じられない
くらいの好成績だった。毎日大きく勝てても慎重さを忘れなかったのも良かったと思う。
4月には再び200万を超え、6月には300万も突破した。
~続く~
(地上の星/中島みゆき)
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に負けたショックが大きく、また大きく取り戻したいという欲がまだ根強くあることを自分
でも感じ、気を静めるため3月途中からデイトレ日記を再び休むことにした。もちろん
廃止株は触らないというルールは絶対守るつもりだった。
デイトレ日記を休んだ理由はもう一つあった。それは自分の甘さを取り除くためだった。
この頃になると毎日たくさんの人が見に来てくれたし、コメントも毎日のように頂いていた。
ごく稀に心ないものもあったが、多くは勝っても負けても励ましとなるものが多く、負けた
のに涙が出るくらい嬉しい時もあった。「顔が見えなくとも心が繋がるとはこういうこと
なのか」とさえ思ったりもした。私は今までネットでの繋がりにどちらかと言うと否定的
だったが、日々の取引は孤独であり、とても有り難かった。
だけど一方で、それに甘んじてはダメだろうと思う自分もいた。なぜなら、例え大きく負け
たとしてもコメントで励ましてもらえると、それで気持ちが安らぎ安心してしまうからだ。
4月から日記を正式に休止する際、理由に「里心がついてしまうから」と書いているが、
それは言い得て妙だと思う。
始めのうちは日記は日記(仕事)、コメントはコメント(息抜き)、と分けて考えていた
つもりだが、コメント欄での交流を通して里心がついてしまうと、それが取引にも影響
して、厳しい姿勢で取引に臨めなくなってしまうのではないかと思ったのだ。負けた
悔しさをうやむやに流してしまいそうな気がした。
現にその頃そういう気持ちも少なからずあったと思う。そうなると牙を抜かれたオオカミ
のような感じで、もともと元手も少ないし、たちまち株での生活が立ちゆかなくなると
思った。それが怖かった。きちんと気持ちで割り切れれば良かったと思うのだが、
そこまでの精神力が自分にはまだなかった。
そこで一旦振り出しに戻し、もう一度孤独な厳しい世界に潜り込むため、デイトレ日記を
再び休むことにしたのだ。
結果的にこの選択は間違っていなかったと思う。2月の大敗後、株取引を「仕事として」
取り組む意識はより強くなったと思う。しかしなにぶん結果が伴っていなかったので、
この頃はまだ日記の中でその言葉を口にすることはなかった。だが自分の中で確実に
意識が変わったのがこの頃からだったと思う。
ちょっと話が戻るが、前年末くらいから、資格試験の勉強はほとんどしなくなって
しまった。ブログを始めてから株に取り組む真剣さは増したが、一方で試験勉強の方は
おろそかになりがちだった。前年は当初、勉強と株の2本立てて頑張るつもりだったが、
食うことが最優先となった。実際ずっと毎月綱渡りの生活が続いていたので、勉強する
気持ちの余裕もなくなってしまった。
ただ、株での生活は、コツコツドカンの繰り返しで結果が今ひとつ伴わない。がむしゃら
にやるだけやってみようという気はあったが、近いうち職探しをするだろうとも思っていた。
それまでは株に集中しようと思った。前にも書いたが、当初株での生活はそう長く続く
とは思っていなかったし、2008年を越せるとは思ってもいなかったというのが正直な
気持ちだった。
話を戻す。その後、かなり慎重に指すようになったせいか徐々に調子がよくなっていった。
それに地合いが上向いてきたことも追い風となった。前年までとことんまで売られまくっ
ていたボロ株が多かったせいか、長きにわたる金融不安が和らぐと3月以降一斉に花を
咲かせるかのように吹き上がる銘柄が続出したのだ。
はっきり言って4月~6月くらいまでは入れ食い状態だったのでないかと思う。リーマン
ショックを乗り越えて本当に良かったと思った。すべてのセクター、すべてのボロ株に
買いが入ったと言っていいし、出来高もボラも大きかった。この頃でも持ち越しはしな
かったが、大きく上昇した後ちょっと押されたところを拾っておけば、後から来た人が
次々にそれを拾ってくれるという感じで、上昇の好循環が続いたのではないかと思う。
なかでも大きく勝てたのが4月だった。この月はなんと100万近くも勝ってしまったのだ。
金額にも驚いたし、負けたのがたった1日だけというのも今までの自分には信じられない
くらいの好成績だった。毎日大きく勝てても慎重さを忘れなかったのも良かったと思う。
4月には再び200万を超え、6月には300万も突破した。
~続く~
(地上の星/中島みゆき)
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ちょうど土曜日は月末でもあるし、月間成績を書く予定だったので、そこで覚悟を決める
ことにした。「今度上場廃止株を触ったら取引をやめる」と書いたのだ。頭に浮かんでも
これだけはどうしても書きたくなかったが、もうこれ以外の方法が思いつかなかった。
自分にとってはこれ以上ない最大の覚悟だった。
それでもまだ上っ面の言葉だけじゃないのかという疑念もあった。だけどこれだけは本当
に心の底から誓って決めた。もし触ったのに触ってないと嘘までついてやったとしても
結局は生き残れないと思ったし、何も残らないし、ただ空しいだけ。何より嘘をついてまで
株をやる自分が許せなかった。そんなことするくらいだったら、とっとと見切りを付けて
職探しをした方がよっぽどましだと思った。
事実今までも「上場廃止株を触らない」と書いておいて、その後触ってしまったことは何度
となくあったが、どんなに辛くとも触ったら触った後で正直に書いていた。1年目のデイトレ
日記は仕事と呼ぶにはあまりも未熟だったけれども、これが自分のちっぽけなプライド
だった。
しかしブログ1年目は嘘とまでは言えないまでも、それに近いことはしていたかもしれない。
なぜならそれほど本気で守ろうという意志がないのに何かルールを作って「明日はこうする」
なんて書いていたからだ。でも本気じゃないからほとんど守れず意味がなかった。上っ面
の気持ちでルールを作っていたと思う。要は言葉が軽かったのだ。
たかがブログという見方もあるかもしれないが、されどブログである。言葉には重みがある。
言霊(ことだま)というのは本当だと思う。本気で勝とうと思ったら自分の言葉に責任を
持たなければいけない。自分が本気で決めたルールなら死んでも守らないといけないし、
体裁のいいきれい事を並べてもいけない。これは絶対だ。たかがブログだと甘く考えては
いけない。このルールとは自分自身との約束事と言える。だからブログではなく、自分しか
見ない手帳に書いてもいいし、毎朝こっそり声を出して読み上げてもいい。他人が見る
見ないは本来関係ない。
だが私はもともと日記を仕事の一部として考えていたので、あくまでここを自分との約束
を守る場と考えた。でも始めのうちは取引そのものではないので、まだ甘く考えていた
ところがあったと思う。どこかで破ってもいいや、という気持ちで軽く考えていたところが
あった。
たとえば、含み損で持ち越ししてしまっても翌日大きくGUして大きな利益になるという
ことはよくある。結果オーライという形でルールを破っても翌日の日記で特に咎めも反省
もせず流すことも可能だ。
しかしそれではやっぱりダメなのだ。それを繰り返すと一時はよくても必ずといっていい
ほど後で大きなしっぺ返しをもらった。何日か経って必ずかりそめに得た利益の何倍、
時に何十倍もの額の損失を出した。
上場廃止株を触らないことについても同じだ。これを触っても毎回負ける訳ではない。
ボラが大きいので時に大きな利益になることもあるし、ある程度セーブができていれば
負けても損失は少なくて済む。しかし、この株を触ると正気ではいられない。その結果が
8597 SFCGしかり、8844 ディックスクロキしかり、1792 みらい建設グループしかりだ。
どれも過去100万近く負けた上場廃止株ばかりだ(ここを参照)。
特に調べたわけでもないが、長年安定して勝っている人というのは自分で言ったことを
きちんと守り、言葉にブレがない人ではないかと思う。明日寄りで投げると決めたら何が
あってもその通り実行するし、損切りラインを決めたらそこでスパッと切る人だと思う。
それだけ自分の言葉に責任を持ち、言動が一致する人だ。
逆に言うと、仕事として取り組んでいるのに自分が言ったことを守れない人は「自分は
ちゃらんぽらんな仕事しかできないですよ」と言っているようなものなのだ。これは自分
のことを言っている。私はデイトレ日記の中であまりに何度も何度も、決めては破り、
決めては破りを繰り返してきたので本当に自分が嫌になった。自分のちゃらんぽらんさ
に腹が立った。
そこで一大決心をしたのが2月の月間成績で、それ以降、二度と廃止株を触ることはなく
なった。株を辞めるまでの縛りは設けていないが、同時に含み損での持越しもしなく
なった。株について本当の覚悟を持てるようになったのはこの時からだと思う。
それから取引に取り組む姿勢が変わった。だから今でも株を続けていられるのだ。
今はデイトレ日記を書いていないが、書いても書かなくても結果はそんなに変わらない
だろうという思いはある。なぜならいつでも自分のルールを守り通す自信があるからだ。
今から思うとデイトレ日記はそのためにあったような気がする。今は日記を書いて
いなくとも自分の言葉に責任を持ち、いつでも変わらない気持ちで取引ができるよう
心がけている。
今回はかなり長くなったので話を2回に分けた。
~続く~
(ガンダーラ/ゴダイゴ)
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ことにした。「今度上場廃止株を触ったら取引をやめる」と書いたのだ。頭に浮かんでも
これだけはどうしても書きたくなかったが、もうこれ以外の方法が思いつかなかった。
自分にとってはこれ以上ない最大の覚悟だった。
それでもまだ上っ面の言葉だけじゃないのかという疑念もあった。だけどこれだけは本当
に心の底から誓って決めた。もし触ったのに触ってないと嘘までついてやったとしても
結局は生き残れないと思ったし、何も残らないし、ただ空しいだけ。何より嘘をついてまで
株をやる自分が許せなかった。そんなことするくらいだったら、とっとと見切りを付けて
職探しをした方がよっぽどましだと思った。
事実今までも「上場廃止株を触らない」と書いておいて、その後触ってしまったことは何度
となくあったが、どんなに辛くとも触ったら触った後で正直に書いていた。1年目のデイトレ
日記は仕事と呼ぶにはあまりも未熟だったけれども、これが自分のちっぽけなプライド
だった。
しかしブログ1年目は嘘とまでは言えないまでも、それに近いことはしていたかもしれない。
なぜならそれほど本気で守ろうという意志がないのに何かルールを作って「明日はこうする」
なんて書いていたからだ。でも本気じゃないからほとんど守れず意味がなかった。上っ面
の気持ちでルールを作っていたと思う。要は言葉が軽かったのだ。
たかがブログという見方もあるかもしれないが、されどブログである。言葉には重みがある。
言霊(ことだま)というのは本当だと思う。本気で勝とうと思ったら自分の言葉に責任を
持たなければいけない。自分が本気で決めたルールなら死んでも守らないといけないし、
体裁のいいきれい事を並べてもいけない。これは絶対だ。たかがブログだと甘く考えては
いけない。このルールとは自分自身との約束事と言える。だからブログではなく、自分しか
見ない手帳に書いてもいいし、毎朝こっそり声を出して読み上げてもいい。他人が見る
見ないは本来関係ない。
だが私はもともと日記を仕事の一部として考えていたので、あくまでここを自分との約束
を守る場と考えた。でも始めのうちは取引そのものではないので、まだ甘く考えていた
ところがあったと思う。どこかで破ってもいいや、という気持ちで軽く考えていたところが
あった。
たとえば、含み損で持ち越ししてしまっても翌日大きくGUして大きな利益になるという
ことはよくある。結果オーライという形でルールを破っても翌日の日記で特に咎めも反省
もせず流すことも可能だ。
しかしそれではやっぱりダメなのだ。それを繰り返すと一時はよくても必ずといっていい
ほど後で大きなしっぺ返しをもらった。何日か経って必ずかりそめに得た利益の何倍、
時に何十倍もの額の損失を出した。
上場廃止株を触らないことについても同じだ。これを触っても毎回負ける訳ではない。
ボラが大きいので時に大きな利益になることもあるし、ある程度セーブができていれば
負けても損失は少なくて済む。しかし、この株を触ると正気ではいられない。その結果が
8597 SFCGしかり、8844 ディックスクロキしかり、1792 みらい建設グループしかりだ。
どれも過去100万近く負けた上場廃止株ばかりだ(ここを参照)。
特に調べたわけでもないが、長年安定して勝っている人というのは自分で言ったことを
きちんと守り、言葉にブレがない人ではないかと思う。明日寄りで投げると決めたら何が
あってもその通り実行するし、損切りラインを決めたらそこでスパッと切る人だと思う。
それだけ自分の言葉に責任を持ち、言動が一致する人だ。
逆に言うと、仕事として取り組んでいるのに自分が言ったことを守れない人は「自分は
ちゃらんぽらんな仕事しかできないですよ」と言っているようなものなのだ。これは自分
のことを言っている。私はデイトレ日記の中であまりに何度も何度も、決めては破り、
決めては破りを繰り返してきたので本当に自分が嫌になった。自分のちゃらんぽらんさ
に腹が立った。
そこで一大決心をしたのが2月の月間成績で、それ以降、二度と廃止株を触ることはなく
なった。株を辞めるまでの縛りは設けていないが、同時に含み損での持越しもしなく
なった。株について本当の覚悟を持てるようになったのはこの時からだと思う。
それから取引に取り組む姿勢が変わった。だから今でも株を続けていられるのだ。
今はデイトレ日記を書いていないが、書いても書かなくても結果はそんなに変わらない
だろうという思いはある。なぜならいつでも自分のルールを守り通す自信があるからだ。
今から思うとデイトレ日記はそのためにあったような気がする。今は日記を書いて
いなくとも自分の言葉に責任を持ち、いつでも変わらない気持ちで取引ができるよう
心がけている。
今回はかなり長くなったので話を2回に分けた。
~続く~
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今回から2009年に入る。1月と2月の途中まではかなり好調で、1月末には180万、
2月中旬には200万を超えてきた。年末少し回復した地合いは年が変わって再び軟化し、
2番底を探る動きになっていたが、この頃になると多少の暴落には慣れてきたと思う。
また150万くらいの資金にも慣れてきたものの、200万を扱うのは久しぶりだったので
ここでやっぱり増えたことを意識してしまった。いつも通りを心がけているつもりでも頭
の中では「やったあ、200万を超えた」という嬉しさと、「だいぶ高い所に来たなあ」という
満足感、「もっと取りたい、もっともっと」という欲で一杯になっていた。
いずれにしても心が冷静な状態ではなかったので、大負けする下地は十分にあったと
思う。2月途中まではたまたま良い方に転んでくれたので大怪我はなかったが、負ける
なら早めに負けた方がいい場合もある。次第に含み損での持ち越しやナンピンの回数
が増え、損切りのタイミングも遅くなっていた。負けたくない気持ちが膨らんでいった。
そして2月も末日、とうとうブログを始めてから最大の損失を出してしまった。銘柄は
8597 SFCG。またしても倒産株だった。今度は倒産株と知りつつ自分から掴みに
いった。
この銘柄は2月後半になって倒産が濃厚になるとS安が何日か続いていた。ようやく
全株一致20円で寄ったのが値幅制限解除された1週間後の2月26日だった(S安が
始まる前の株価は2,000円もあった)。それも大引け近くの2時半くらいだったと思う。
この日は今か今かと寄るのをずっと待っていた。寄ってから激しい値動きになることは
十分予想していたが、大きくリバウンドすることも期待して触りたくてうずうずしていた。
この時からすでに前のめりだった。寄り後数分は買いが優勢で一時は22円まで付けた。
始めは様子見だったがこれで安心して再び20円まで落ちてきた所を1円抜きする
つもりで5千株だけ買った。
だがここから怒濤の売りが始まった。20~18円まであっという間に厚い買い板が一飲み
されてしまった。これはおかしいと思って、1万株ずつでナンピンしていった。しかし、成り
売りが止まること無く、17~15円もあっという間に抜かれた。熱くなって「何くそー」という
気持ちで必死にナンピンして食い下がった。一瞬売り板が食われてもすぐさまそれ以上
の売り物が降ってきた。すでにここでも大きな含み損だ。
でもここでもまだ止まらない。さらに14~12円と売りの勢いは加速してきた。一向に売り
がやむ気配がない。もう頭の中はオーバヒートしそうな勢いだった。ここまでくるともう引き
下がれない。切るという考えがなくなった。11~9円まで落ちた時には、やけっぱちにロット
を上げて2万株ずつ食い下がった。「早く戻してくれー」と神にすがるような気持ちだったが、
願いとは裏腹にとうとう9円も抜かれ、大引けでは8円にまで落ちてしまった。
いくら倒産株とはいえ、わずか30分で寄ってから60%も下落するとは夢にも思わなかった。
どこかでリバウンドするんじゃないかと思い込んで、上ばっかり見ていていた。下落の間
20円から買い始めた枚数は、大引けで合計15万株にもなっていた。
場が終わり実現損益を見て呆然とした。含み損が70万にも達していたのだ。あまりにも
短時間での出来事だったので悪夢を見ているようだった。その日もこれを触るまで収支は
少しプラスになっていたと思う。あと30分だけやり過ごせば、平穏無事で資金も200万を
維持できていた。それができなかったことが悔やまれた。
投げたのは翌27日だが、朝の寄りで切れなかったのもダメだった。本当なら潔くスパッと
投げるべきだった。しかも寄りなら9円で逃げられたので多少含み損を減らすことができた。
それを躊躇ったばかりに結局はほとんど7円で投げる羽目になった。損失はさらに膨らみ
合計80万の損切りとなった。あっという間に資金が再び100万台前半に逆戻りした。
株とはつくづくこういうものだと思う。覚悟のない者にはとことん容赦ない。1854 新井組
の失敗もあり、すでに「上場廃止株は触らない」と「含み損で持ち越しはしない」の2つを
ルール化したのにこの始末だった。言い訳の余地がない。2つともあっさり破っており、
何を決めても守れない自分が腹立たしく嫌気が差した。去年散々懲りて、今度こそはと
思ってようやく200万を超えたところだったのに、また振り出しに戻ったかと思うと、「もう
何度目だ」と頑張る気力を失い、心も折れそうになった。
一夜明けて土曜日には今度こそ本当にこの蟻地獄から抜け出さないといけないと思った。
だけど普通に「上場廃止株は触らない」なんて日記に書いてもほとんど意味がなかった。
それは自分でもよく分かっていた。何か決めてそれを破っても何も罰がないので本気で
守ろうという気がなかった。悪く言えば上っ面だけの言葉だった。芯から思っていない。
破った時に何か罰が必要だ、それも死んでも守ろうと思うくらい大きなものじゃないと
いけない。
~続く~
(ビューティフル・ネーム/ゴダイゴ)
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2月中旬には200万を超えてきた。年末少し回復した地合いは年が変わって再び軟化し、
2番底を探る動きになっていたが、この頃になると多少の暴落には慣れてきたと思う。
また150万くらいの資金にも慣れてきたものの、200万を扱うのは久しぶりだったので
ここでやっぱり増えたことを意識してしまった。いつも通りを心がけているつもりでも頭
の中では「やったあ、200万を超えた」という嬉しさと、「だいぶ高い所に来たなあ」という
満足感、「もっと取りたい、もっともっと」という欲で一杯になっていた。
いずれにしても心が冷静な状態ではなかったので、大負けする下地は十分にあったと
思う。2月途中まではたまたま良い方に転んでくれたので大怪我はなかったが、負ける
なら早めに負けた方がいい場合もある。次第に含み損での持ち越しやナンピンの回数
が増え、損切りのタイミングも遅くなっていた。負けたくない気持ちが膨らんでいった。
そして2月も末日、とうとうブログを始めてから最大の損失を出してしまった。銘柄は
8597 SFCG。またしても倒産株だった。今度は倒産株と知りつつ自分から掴みに
いった。
この銘柄は2月後半になって倒産が濃厚になるとS安が何日か続いていた。ようやく
全株一致20円で寄ったのが値幅制限解除された1週間後の2月26日だった(S安が
始まる前の株価は2,000円もあった)。それも大引け近くの2時半くらいだったと思う。
この日は今か今かと寄るのをずっと待っていた。寄ってから激しい値動きになることは
十分予想していたが、大きくリバウンドすることも期待して触りたくてうずうずしていた。
この時からすでに前のめりだった。寄り後数分は買いが優勢で一時は22円まで付けた。
始めは様子見だったがこれで安心して再び20円まで落ちてきた所を1円抜きする
つもりで5千株だけ買った。
だがここから怒濤の売りが始まった。20~18円まであっという間に厚い買い板が一飲み
されてしまった。これはおかしいと思って、1万株ずつでナンピンしていった。しかし、成り
売りが止まること無く、17~15円もあっという間に抜かれた。熱くなって「何くそー」という
気持ちで必死にナンピンして食い下がった。一瞬売り板が食われてもすぐさまそれ以上
の売り物が降ってきた。すでにここでも大きな含み損だ。
でもここでもまだ止まらない。さらに14~12円と売りの勢いは加速してきた。一向に売り
がやむ気配がない。もう頭の中はオーバヒートしそうな勢いだった。ここまでくるともう引き
下がれない。切るという考えがなくなった。11~9円まで落ちた時には、やけっぱちにロット
を上げて2万株ずつ食い下がった。「早く戻してくれー」と神にすがるような気持ちだったが、
願いとは裏腹にとうとう9円も抜かれ、大引けでは8円にまで落ちてしまった。
いくら倒産株とはいえ、わずか30分で寄ってから60%も下落するとは夢にも思わなかった。
どこかでリバウンドするんじゃないかと思い込んで、上ばっかり見ていていた。下落の間
20円から買い始めた枚数は、大引けで合計15万株にもなっていた。
場が終わり実現損益を見て呆然とした。含み損が70万にも達していたのだ。あまりにも
短時間での出来事だったので悪夢を見ているようだった。その日もこれを触るまで収支は
少しプラスになっていたと思う。あと30分だけやり過ごせば、平穏無事で資金も200万を
維持できていた。それができなかったことが悔やまれた。
投げたのは翌27日だが、朝の寄りで切れなかったのもダメだった。本当なら潔くスパッと
投げるべきだった。しかも寄りなら9円で逃げられたので多少含み損を減らすことができた。
それを躊躇ったばかりに結局はほとんど7円で投げる羽目になった。損失はさらに膨らみ
合計80万の損切りとなった。あっという間に資金が再び100万台前半に逆戻りした。
株とはつくづくこういうものだと思う。覚悟のない者にはとことん容赦ない。1854 新井組
の失敗もあり、すでに「上場廃止株は触らない」と「含み損で持ち越しはしない」の2つを
ルール化したのにこの始末だった。言い訳の余地がない。2つともあっさり破っており、
何を決めても守れない自分が腹立たしく嫌気が差した。去年散々懲りて、今度こそはと
思ってようやく200万を超えたところだったのに、また振り出しに戻ったかと思うと、「もう
何度目だ」と頑張る気力を失い、心も折れそうになった。
一夜明けて土曜日には今度こそ本当にこの蟻地獄から抜け出さないといけないと思った。
だけど普通に「上場廃止株は触らない」なんて日記に書いてもほとんど意味がなかった。
それは自分でもよく分かっていた。何か決めてそれを破っても何も罰がないので本気で
守ろうという気がなかった。悪く言えば上っ面だけの言葉だった。芯から思っていない。
破った時に何か罰が必要だ、それも死んでも守ろうと思うくらい大きなものじゃないと
いけない。
~続く~
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1854 新井組倒産のニュースで思い出すことがある。私は群馬の田舎に住んでいて、
高校へは自転車で通っていた。周りは山に囲まれ坂が多く、帰りは登りで自転車を押して
歩いていた。ちょうど真夏の頃、いつもように自転車を押して歩いていたら、あとちょっとで
登り切る信号手前というところで一瞬目の前が真っ暗になった時があった。
よろけて信号待ちの車のバックミラーに軽くゴツンとぶつかってしまった。すぐに視界が
戻ったし、青になったらだまって車は発進してしまったので、怒られることもなかった。
だけど、ごく短い時間だったと思うが、もう一生目が見えなくなってしまったのではないか
という恐怖は忘れられない。おそらく立ちくらみだったのだと思う。
この1854 新井組時も、状況はまったく違うのに同じように一瞬目の前が真っ暗になった。
後から思えばたぶんそうなった気がしただけかもしれないが、株をやっていてもこんな
ことは今まで一度もなかった。それくらい私に取ってはショックなことだった。
今から思うと8日の大引け間際の怒濤の売りは早耳大口の処分売りだったのだと思う。
平均15-16円でナンピンしまくって4万株掴み、翌日寄りの3円で投げ、50万弱の損失と
なった。資金も100万ちょっとで再び振り出しに戻った。この頃はこんなコツコツドカンの
繰り返しだった。
確かに地合いも最悪で10月には日経平均が一時7,000円も割った。しかし負けたのは
地合いよりむしろ自分の心の弱さにあったと思う。多少の波はあるものの、この月に
限らず年末までずっと下げ相場が続いたのだ。現にリーマンショックが実際にあった9月
は大勝しているし、10月だって1854 新井組の大負けがなければプラスだった。
何日か調子よく連勝が続き資金が増えると気持ちが浮き足だってしまった。それは自分
でも分かっていたが気持ちの高ぶりをどうしても抑えられなかった。150万を超えてくると、
少しくらい負けてもいいやという気になって、その通り負けることが多かったと思う。
それに慣れとは恐ろしいものだと思う。前の年まではあれほど100万で食って行くのは
ギリギリだと思っていたのに、この年になって、曲がりなりにも半年以上生活できて
しまったので、120~130万くらいの資金でも、「まあ何とかなるさ」という気になるし、
150~160万もあれば「結構増えたな」という安心感さえあった。
ブログを始める前に90万を切った時もあったし、ブログを始めてからも一時的にせよ2度
ほど100万を切っており、そんな修羅場を何度も経験してしまったからだと思う。100万も
150万もギリギリの生活にそんな変わりはないんじゃないかって思うが、やっている当時
は全然違った。150万だって100万と比べたら1.5倍だ。
恥ずかしながらそれを超えると小金持ちになった気がして精神面で耐えられず、その都度
自分で調整した。もちそん自分で負けたくて負けた訳ではないが。例えるなら賽の河原で
コツコツ石を積み上げてもすぐさま一瞬で崩す感じだ。崩すのも自分だからたちが悪い。
資金100万での生活に慣れ、多少度胸も付いたが、逆にそこから脱する器量が自分に
なかった。
しかし、この年を経て良かったと思うことも多かった。100年に1度という相場を経験した
からだ。まぎれもなく2008年は大暴落した年であり、日経平均は1年で半値近くまで
落ちた。ボラが大きかった頃とは言え、買いだけで食いつなぐのは容易ではない。
この頃の厳しい相場に鍛えられたことが、その後の自分の大きな自信になった。その後
何度暴落相場に遭っても「あのリーマンショックに比べれば」、と思うと落ち着いて取り
組めた。確かに渦中にいるときは、画面から悲鳴が聞こえてくるほどの暴落も目にしたが、
あれだけの相場はお金を積んでも経験できるものではない。
おかしなことに私は現物しか扱えないのに上げ相場より下げ相場の方がやりやすい
くらいで、自分の取引の型が決まったのもこの頃だったと思う。この年を含めて1年以上
ずっと100万台で取引していたことも取引感覚を身につけるには良かった。
2008年を終えたとき資金は150万ほどで、年間の生活費200万弱を引いても30万ほど
プラスが残った。生活するのが目標だったし、得られた経験を考えれば、生き残れただけで
万々歳だったと思う。資金100万で1年を乗り越えられたことが何より嬉しかった。
あのリーマンショックからちょうど3年が経つ。株を始めてからも5年が経ち、その間日経
平均は半分近くにまで下落した。未だにこの頃培った経験が活かされている毎日で、あり
がたいような寂しいような感じだ。はたして本当に下げ相場から脱したのか疑問に思う。
~続く~
(サボテン/ポルノグラフティー)
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高校へは自転車で通っていた。周りは山に囲まれ坂が多く、帰りは登りで自転車を押して
歩いていた。ちょうど真夏の頃、いつもように自転車を押して歩いていたら、あとちょっとで
登り切る信号手前というところで一瞬目の前が真っ暗になった時があった。
よろけて信号待ちの車のバックミラーに軽くゴツンとぶつかってしまった。すぐに視界が
戻ったし、青になったらだまって車は発進してしまったので、怒られることもなかった。
だけど、ごく短い時間だったと思うが、もう一生目が見えなくなってしまったのではないか
という恐怖は忘れられない。おそらく立ちくらみだったのだと思う。
この1854 新井組時も、状況はまったく違うのに同じように一瞬目の前が真っ暗になった。
後から思えばたぶんそうなった気がしただけかもしれないが、株をやっていてもこんな
ことは今まで一度もなかった。それくらい私に取ってはショックなことだった。
今から思うと8日の大引け間際の怒濤の売りは早耳大口の処分売りだったのだと思う。
平均15-16円でナンピンしまくって4万株掴み、翌日寄りの3円で投げ、50万弱の損失と
なった。資金も100万ちょっとで再び振り出しに戻った。この頃はこんなコツコツドカンの
繰り返しだった。
確かに地合いも最悪で10月には日経平均が一時7,000円も割った。しかし負けたのは
地合いよりむしろ自分の心の弱さにあったと思う。多少の波はあるものの、この月に
限らず年末までずっと下げ相場が続いたのだ。現にリーマンショックが実際にあった9月
は大勝しているし、10月だって1854 新井組の大負けがなければプラスだった。
何日か調子よく連勝が続き資金が増えると気持ちが浮き足だってしまった。それは自分
でも分かっていたが気持ちの高ぶりをどうしても抑えられなかった。150万を超えてくると、
少しくらい負けてもいいやという気になって、その通り負けることが多かったと思う。
それに慣れとは恐ろしいものだと思う。前の年まではあれほど100万で食って行くのは
ギリギリだと思っていたのに、この年になって、曲がりなりにも半年以上生活できて
しまったので、120~130万くらいの資金でも、「まあ何とかなるさ」という気になるし、
150~160万もあれば「結構増えたな」という安心感さえあった。
ブログを始める前に90万を切った時もあったし、ブログを始めてからも一時的にせよ2度
ほど100万を切っており、そんな修羅場を何度も経験してしまったからだと思う。100万も
150万もギリギリの生活にそんな変わりはないんじゃないかって思うが、やっている当時
は全然違った。150万だって100万と比べたら1.5倍だ。
恥ずかしながらそれを超えると小金持ちになった気がして精神面で耐えられず、その都度
自分で調整した。もちそん自分で負けたくて負けた訳ではないが。例えるなら賽の河原で
コツコツ石を積み上げてもすぐさま一瞬で崩す感じだ。崩すのも自分だからたちが悪い。
資金100万での生活に慣れ、多少度胸も付いたが、逆にそこから脱する器量が自分に
なかった。
しかし、この年を経て良かったと思うことも多かった。100年に1度という相場を経験した
からだ。まぎれもなく2008年は大暴落した年であり、日経平均は1年で半値近くまで
落ちた。ボラが大きかった頃とは言え、買いだけで食いつなぐのは容易ではない。
この頃の厳しい相場に鍛えられたことが、その後の自分の大きな自信になった。その後
何度暴落相場に遭っても「あのリーマンショックに比べれば」、と思うと落ち着いて取り
組めた。確かに渦中にいるときは、画面から悲鳴が聞こえてくるほどの暴落も目にしたが、
あれだけの相場はお金を積んでも経験できるものではない。
おかしなことに私は現物しか扱えないのに上げ相場より下げ相場の方がやりやすい
くらいで、自分の取引の型が決まったのもこの頃だったと思う。この年を含めて1年以上
ずっと100万台で取引していたことも取引感覚を身につけるには良かった。
2008年を終えたとき資金は150万ほどで、年間の生活費200万弱を引いても30万ほど
プラスが残った。生活するのが目標だったし、得られた経験を考えれば、生き残れただけで
万々歳だったと思う。資金100万で1年を乗り越えられたことが何より嬉しかった。
あのリーマンショックからちょうど3年が経つ。株を始めてからも5年が経ち、その間日経
平均は半分近くにまで下落した。未だにこの頃培った経験が活かされている毎日で、あり
がたいような寂しいような感じだ。はたして本当に下げ相場から脱したのか疑問に思う。
~続く~
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相当の決意をして6月下旬から日記を書き始めたが、2008年はリーマンショックのあった
年でもある。すでに相場の雰囲気はかなり悪くなっていた。少し読み進めると7月7日には
「日経平均が13日営業日ぶりに反発した」なんて書いてあるから、最悪のピークはまだ
だが地合いはかなり軟弱になっていたと思う。
加えてこの頃、地合い以上に影響することがあった。7月後半から取引所で呼値の変更が
あったのだ。ちょっと話がずれるが、これはその後の取引に大きな影響を与えたので詳しく
触れておきたい。
この頃の取引の内訳は東証・大証合わせて半分、ヘラクレスとJASDAQ合わせて半分
くらいだった(当時ヘラクレス市場はまだJASDAQに統合されていない)。さらにヘラクレス
とJASDAQとの割合は、日にもよるがこれもおおよそ半々くらいと言っていいと思う。という
ことは、ヘラクレス銘柄を1日に2~3割くらいは取引していたということだ。
ヘラクレスの何がいいかと言うと、10~20万円台の出来高とボラのある銘柄が沢山あった
ことだ。この価格帯の銘柄は呼値が千円であり、100~200円台の動きに相当し、
1ティック抜き(1円抜き)の旨味があった。
しかしこの変更以降、ボラの大きいヘラクレスを中心とする10~20万の銘柄が軒並み
触れなくなった。呼値が千円から100円に細分化され、1ティック抜きの旨味がなくなった
のだ。この変更の衝撃は大きかった。始めのうちは呼値100円銘柄にもチャレンジしたが
どうしてもタイミングが掴めなかった。
4764 デジタルデザイン、3777 ターボリナックス(現TLホールディングス)、
4289 ビジネストラスト(現上場廃止)、3856 リアルコム、2326 デジタルアーツなど、
当時の華やかな銘柄が懐かしい。
今でも「この呼値変更がなかったらどんなにチャンスがあるだろう」と思うほどで、後々の
大きな痛手となった。地合いが最悪となったこの年を迎える前から、すでに新興市場
からの資金の引き揚げは始まっていたが、この呼値変更が市場の過疎化をさらに加速
させたのではないかと思う。
これ以降、JASDAQ低位を除き、事実上の新興からの撤退となった。取引の幅が狭まり、
これがますますリスクの高い100円以下のボロ株、ひいては倒産株にのめり込んでゆく
きっかけとなったのでないかと思う。今だからよく感じられることだ。
話を元に戻す。すでに友達に送ったメールで試していた通り、人に自分の収支を晒すこと
に効果があったのか、あるいは緊張感を持って取り組んだのが良かったのか、ブログを
始めて1ヵ月くらいはかなり調子が良かった。1ヵ月ちょっと経った7月末の段階で資金が
140万にまで回復した。この頃はこれくらいの資金なのに当たり前のように1日に4~5万
も取っており、中には10万くらい勝つ日もあった。今ではちょっと信じられないくらいだ。
逆に同じくらい負ける日もしょっちゅうで、無茶な入り方が多かったのだと思うがそれにした
って毎日取れる額が大きすぎる。その理由を考えて見ると、やっぱりボラが大きい相場に
助けられたのだと思う。暴落相場は振れも大きいので、チャンスもあったのではないかと
思う。
しかし、緊張感が続いたのも1ヵ月くらいまで。暴落相場の渦中にあってはちょっとでも
気が緩むと大変なことになる。8月は立て続けに大負けを連発し、資金は再び100万を
割った。月末では少し戻し、ちょうど100万ちょっとでブログ開始時の振り出しに戻った。
だが、そうするとまた気持ちを引き締めなおし、一転して9月は好調で月間で70万近くも
取れ資金も再び160万にまで達した。
この年はこの後もこんな状態が続き、毎月勝ったり負けたりを交互に繰り返すことに
なる。9月調子が良かったということは10月は負けるということ。当時は倒産株が連日
のようにあって、毎日綱渡りだった。いつか自分も掴んでしまうのではないかと思って
いたが、とうとうその日が来てしまった。
8日に含み損で持越しした1854 新井組(現上場廃止)が、その晩倒産株に化けて
しまったのだ。これまでの株取引で一番ショックな出来事だった。自業自得だが、
ルールを破った自分があまりにもやるせなくて情けなくて月末までデイトレ日記を休む
ことにした。以後何度かデイトレ日記を休止することになるがこの時がはじめてだった。
~続く~
(Love me tender/D-LOOP)
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年でもある。すでに相場の雰囲気はかなり悪くなっていた。少し読み進めると7月7日には
「日経平均が13日営業日ぶりに反発した」なんて書いてあるから、最悪のピークはまだ
だが地合いはかなり軟弱になっていたと思う。
加えてこの頃、地合い以上に影響することがあった。7月後半から取引所で呼値の変更が
あったのだ。ちょっと話がずれるが、これはその後の取引に大きな影響を与えたので詳しく
触れておきたい。
この頃の取引の内訳は東証・大証合わせて半分、ヘラクレスとJASDAQ合わせて半分
くらいだった(当時ヘラクレス市場はまだJASDAQに統合されていない)。さらにヘラクレス
とJASDAQとの割合は、日にもよるがこれもおおよそ半々くらいと言っていいと思う。という
ことは、ヘラクレス銘柄を1日に2~3割くらいは取引していたということだ。
ヘラクレスの何がいいかと言うと、10~20万円台の出来高とボラのある銘柄が沢山あった
ことだ。この価格帯の銘柄は呼値が千円であり、100~200円台の動きに相当し、
1ティック抜き(1円抜き)の旨味があった。
しかしこの変更以降、ボラの大きいヘラクレスを中心とする10~20万の銘柄が軒並み
触れなくなった。呼値が千円から100円に細分化され、1ティック抜きの旨味がなくなった
のだ。この変更の衝撃は大きかった。始めのうちは呼値100円銘柄にもチャレンジしたが
どうしてもタイミングが掴めなかった。
4764 デジタルデザイン、3777 ターボリナックス(現TLホールディングス)、
4289 ビジネストラスト(現上場廃止)、3856 リアルコム、2326 デジタルアーツなど、
当時の華やかな銘柄が懐かしい。
今でも「この呼値変更がなかったらどんなにチャンスがあるだろう」と思うほどで、後々の
大きな痛手となった。地合いが最悪となったこの年を迎える前から、すでに新興市場
からの資金の引き揚げは始まっていたが、この呼値変更が市場の過疎化をさらに加速
させたのではないかと思う。
これ以降、JASDAQ低位を除き、事実上の新興からの撤退となった。取引の幅が狭まり、
これがますますリスクの高い100円以下のボロ株、ひいては倒産株にのめり込んでゆく
きっかけとなったのでないかと思う。今だからよく感じられることだ。
話を元に戻す。すでに友達に送ったメールで試していた通り、人に自分の収支を晒すこと
に効果があったのか、あるいは緊張感を持って取り組んだのが良かったのか、ブログを
始めて1ヵ月くらいはかなり調子が良かった。1ヵ月ちょっと経った7月末の段階で資金が
140万にまで回復した。この頃はこれくらいの資金なのに当たり前のように1日に4~5万
も取っており、中には10万くらい勝つ日もあった。今ではちょっと信じられないくらいだ。
逆に同じくらい負ける日もしょっちゅうで、無茶な入り方が多かったのだと思うがそれにした
って毎日取れる額が大きすぎる。その理由を考えて見ると、やっぱりボラが大きい相場に
助けられたのだと思う。暴落相場は振れも大きいので、チャンスもあったのではないかと
思う。
しかし、緊張感が続いたのも1ヵ月くらいまで。暴落相場の渦中にあってはちょっとでも
気が緩むと大変なことになる。8月は立て続けに大負けを連発し、資金は再び100万を
割った。月末では少し戻し、ちょうど100万ちょっとでブログ開始時の振り出しに戻った。
だが、そうするとまた気持ちを引き締めなおし、一転して9月は好調で月間で70万近くも
取れ資金も再び160万にまで達した。
この年はこの後もこんな状態が続き、毎月勝ったり負けたりを交互に繰り返すことに
なる。9月調子が良かったということは10月は負けるということ。当時は倒産株が連日
のようにあって、毎日綱渡りだった。いつか自分も掴んでしまうのではないかと思って
いたが、とうとうその日が来てしまった。
8日に含み損で持越しした1854 新井組(現上場廃止)が、その晩倒産株に化けて
しまったのだ。これまでの株取引で一番ショックな出来事だった。自業自得だが、
ルールを破った自分があまりにもやるせなくて情けなくて月末までデイトレ日記を休む
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性別:
男性
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オセロ、ジョギング
自己紹介:
株で生活資金を稼ぐ予定で、資格試験の勉強中。
しかし、見通しが甘く生活費の出金を含めて資金は減り続け400万→100万にまで減少。
まさにがけっぷち、これ以上大きく負ければ即、
退場→職探しコースが待っている。
しかし、見通しが甘く生活費の出金を含めて資金は減り続け400万→100万にまで減少。
まさにがけっぷち、これ以上大きく負ければ即、
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